筑波線2012/07/02 22:35:44

筑波線はご存知・・・な方は小生と同じ故郷の茨城県土浦市と、その周辺にお住まいの30代以上の方、或いは、出身の方でしょうかね。

あっ、鉄ちゃんであれば当然知っているでしょう!

1987年に廃線となってしまい、現在はその面影を見ることは殆どありません。そう、ホームとして使われていたコンクリートがあるにはありますが、それが在りし日の筑波線時代の物とは、歴史を知っている者意外には想像も付かないでしょう。

小生が生まれ、18歳まで住んでいた土浦市から県の北西部に位置する水戸線の岩城までを結ぶ、非電化単線の鉄道で、途中に筑波山の入り口に位置する駅もあって、1960年から1970年代までは、観光収入がメインだったそうです。

1980年代になりますと、小生の田舎にもマイカーが当たり前の時代となり、筑波線でわざわざ筑波山へ行く客も激減し、土浦市の衰退と共に筑波線も経営困難な路線となっていったようです。

このあたりの話は、ググれば幾らでも見つかりますので、この辺で・・・

では何で筑波線の話を?

年齢がばれてしまいますが、彼是45年くらい昔のことですが・・・

小生は殿里と言う土浦市の中央からやや北西に位置する、辺りが稲作と蓮根の田んぼしかない、素敵な田舎に住んでしました。

4歳か5歳まで住んでいましたっけ。

その当時住んでいた家から程近いところに、良く遊びにいったお宅がありまして、確か岡田さんだったと記憶しています。おじいちゃんとおばちゃんに犬一匹と猫一匹の構成。

いくつの時か忘れてしまいましたが、その家のおじいちゃんが亡くなりまして、子供ながらにおばあちゃんの寂しそうな顔をみて、自分が元気にしてあげよう!と考え、おばあちゃんの家へ。

何だかんだ言って1週間くらい泊まりに行ってたそうです。

自分では、もっと長い期間だった記憶があるのですが、それはやはり子供ですね。時間の感覚が違うのです。

その家の犬は「コロ」と言う名前の雑種犬で、良く遊んでいた記憶があります。

ある日、ちょっとした事件が起こります。

勿論、事件を起こした本人は、全く悪気はなく思うまま行動しただけです。

自分のことですけどね。


断片的にしか覚えていないのですが、子供って本当に予測の付かないことをするものだ、と自分で納得することをやらかしました。

何を考えたのか?おばあちゃんは毎日、仕事があるのでころを置いて、出かけて行きます。いつもなら、そこでバイバイをするのですが、その日はどうした事か、おばちゃんの後を付いて行こうと考えたのです。そう思った記憶があります。

しかし、そんなことをしたらおばあちゃんに、うちに帰りなさいと言われることが分かっていますので遠くから後を付いていけば、ばれない・・・

こんなところも子供の発想ですね。

そして、お伴にはコロ!鬼が島へ行く桃太郎じゃあるましね。

大人の歩く速度と幼児の歩く速度では、とんでもない差がありますので、あっと言う間におばちゃんの姿は見えなくなり、それでもテクテク歩いて行くと、どこかのおばちゃんが、何かを話しかけてきたことを覚えていますが、何を話したのかは、後日母親から訊くまでは不明でした。

とにもかくにも、そのおばちゃんに「うちに帰りなさい」と言われたのでしょうな。元来た道を戻って行きました。

話が長くなりましたが、うちに帰るともう大騒ぎ。小生が居なくなった・・・と言うことだったそうで、母親からこっぴどく叱られた記憶があります。

その時に、言い訳として言った内容が、コロの散歩と言ったとか。

あれ?筑波線とは全くつながりが無いような。
まあ、ここまで読んで下さったのであれば、最後まで読んでください。

先ほどの話の中で登場した見知らぬおばさん、どうも小生が知らないだけで、母親は知っていたようです。

そのおばさんが、連れていた犬を見て、「岡田さんのとこの犬だ!ぼくはどこさ行くんだ?」と尋ねると、”うん、筑波線を見に行くんだ!”と答えたそうです。それは危険だと思い、早く帰れと諭したのだそうです。

そんな事言った記憶はないのですが・・・

確かに、小生の住んでいたところから、真西に向うと広々とした田園風景と、その中を小さな汽車が走って行くのを何度と無く見ていた記憶があります。遠くには富士山も見えていたようで、母親からあれが富士山だと教えてもらったことは、しっかり覚えています。

そのおばあちゃんは、他界してもう20年くらいになりますか。

5歳の頃にその殿里と言う町を離れ、市内のやや南に位置する町に引越したため、コロとも優しかったおばあちゃんともお別れとなりました。

寂しかった?記憶には残っていませんが、しばらくは友達も居ませんし、引っ越すタイミングが幼稚園の入園後になるということで、幼稚園は年長組みからのスタートだったので、やっぱりしばらくは寂しかったような記憶があります。

現在、かみさんと猫2匹とで子供は居ませんが、まあ何とか人並みの生活をしていますし、両親も健在で、しかも元気です。

50年と言う節目が近づいてくると、何となく普段は考えない事を思ってみたりするものなんですかね。

他人の空似2012/07/07 00:32:19

こればっかりは、誰がどうこうのしたことで起きたわけではないので、不可抗力としか言えないのですが、似ているのですよ!

高橋克也容疑者にね(´д`;)

こりゃ参りましたよ!先月の16日の昼過ぎでしたっけ?蒲田の漫画喫茶に潜伏していたところを逮捕された。当日は平日ですので、小職も当たり前ですが仕事中でしたが、昼休みに見たネット上のニュースで知りました。

そう画像の奴さんの顔を見るまではね。

目にした時は、一瞬自分の目を疑いましたよ!


お隣の机でお仕事中の同僚に、高橋克也が捕まりましたよ!で、ほらこいつ俺に似ているでしょ?と軽く訊くと、一瞬固まった?ように見えましたが、「うん、ちょっとにているかな・・・」

まあ、洒落にならんほど似ているからやむを得ないか。

まあ、捕まっているのですから、もう良いですよ!自虐ネタにすれば・・・

ただこれには後日談ではなく、前日談がありまして、奴さんが川崎の勤務先寮から逃走して、信金の動画が公開された後くらいですか、土曜日の夕方に小職の自宅インターホンを押す制服警察官の姿がモニターに映りました。

出るのが遅くなり、話をする前に帰ってしまったので、何の用事だったのか不明ですが、何だろう?と思いますよね。

この時はそう思って終わりでした。奥さんにも夕方に警官が来たよ!出られなかったから、用件は分からないけどね。と言うと、「何だろうね?」と奥さんも?でした。

いやね、その警察官と話をしていませんので、推測になってしまいますが、多分こうではないか・・・

”xxxのxxx号室に住んでいる旦那が、高橋克也にそっくりだから、調べて欲しい”
要はタレこみがあったのではないか、と思うのです。

まあ、自分でも似ているとおもうのですから、他人様が見てもそう感じる可能性はありますし、そう言われてもやむを得ないかな、と思いますよ!

ただねー、もしこの警察官が本当にこの高橋克也のタレこみで来たのであれば、そのタレこみをした奴、よーく考えろ!これはこの家に住み始めて1年半くらいしか経っていないが、川崎に住んでいたのはもう30年も前の話で、ここ数日間のことじゃあない。

ましてや、近隣の住人も当然小職の事を知っている。昨日今日移り住んだわけじゃあない!そんな善良な市民に対して、懸賞金目当てか何だか知らんが、適当なこと言ってるんじゃねえ!

と申したい!

一体どこのどいつだ?わかったらただじゃあおかねんだけど・・・

とまあ、ちょっと怒りも込み上げたのが事実なのですが、捕まりましたし、推測の域を超えられない話ですからね。

後日、職場の別の同僚にメールでこの一件を報告すると、

「大丈夫!似てませんよ(笑) 読んで笑ってしまいました」
だとさ。

そう言われてみれば似ているな~、と言う感じでしょうか。

因みに、一番似ている画像は蒲田署を出る姿を撮った、TVニュースの映像ですかね。

興味があれば検索して見て下さいな。

ふと思うこと2012/07/16 23:50:47

いつもの事なのですが、三連休なんてあっと言う間に終わってしまうものです。今回もそうでしたね。初日に映画を観に行ったくらいでしょうか。あとはゴロゴロとだらしの無い日々を過ごしました。

観に行った映画は臨場です。知っている人はどうでしょうか、全体の半分以下になるのかな?昨年と一昨年に1クールではあったものの、TV朝日の水曜9時枠で放送されていたドラマです。

元は原作があり、それらをドラマ化したものなのだそうですが、評判が良かったため、原作にはないオリジナルの回を放送し、その放映もやはり評判が良かった。

そこで映画化になったそうですが、最近TV朝日の刑事ドラマの映画化、多いですな。

オープニングのシーンとエンディングのシーンは、おそらくはリンクするのだと思っていますが、それが正しいのであれば、主人公の倉石は多分・・・とまあ、明確に描かれていませんので、何が正しいのか誤りなのか?何とでも解釈可能な感じですが、次は無いでしょう。

内容は、他のブログ等でネタバレも含めて多く公開されていますので、そちらを見て頂ければと思います。良ければ劇場に足を運んで、実写を見てください。

今回はいつも映画を見る時に足を運ぶ、新宿・池袋界隈、はたまた有楽町ではなく、豊島園のシアターに行きました。

最近出来たのですかね?綺麗で、小ホールから比較的大きなホールまで数多くあり、都営大江戸線の豊島園からすぐのところです。

今回はクルマで行ったのですが、豊島園通りの渋滞にはまり、20分程度で豊島園の駐車場に行くはずが、30分かけても到着できないありさま。

シアターの前で先に奥さんをおろして、チケットをゲットしてもらい、その5分後にやっと豊島園の駐車場に到着。

上映開始10分前になんとか間に合った感じでした。

このシアターは豊島園と関係があるようで、チケットの半券を見せると、駐車場の2時間半?だったっかな、ただ券を頂けるので、クルマで行かれる方は、お忘れなく。


話は変りまして、小生の故郷のことで。

先日ネット上のニュースで見たのですが、セブン&アイホールディングが、経営がおもわしくないイトーヨーカドーを廃店にするとのことで、その中に、土浦店も含まれていたのを目しました。




まあ、やむを得ないのかな。

何度かブログでも書いていますが、土浦市は1980年代後半から急激に駅前の空洞化が進み、京成・西友・丸井、地元で古くから創業していた小網屋までもが閉店、残されたのは駅前に移動したイトーヨーカドーのみだったのです。

しかし、そのイトーヨーカドーも苦戦していると、帰省した際に地元の旧友から聞かされていましたので、とうとうその日が来たのか、と言う思いです。

駅前の空洞化は、何も土浦に限ったことではなく、水戸市でも問題になっているそうです。

なぜそんなことになったのか?原因は色々あり、その様々な要因が重なって起こっているのだと小生は思いますが、要因の大半は駅前の開発が遅れた事ではないか?と思います。

人口10万人を超える程度の中規模の都市で、決して大都市ではありませんが、その市内に住む人や、周辺の町・村から買い物に来る人で賑わったのが、嘗ての土浦でした。

土日にもなれば、駅前は結構な人だかりがあって、歩道から人が溢れるくらいだった記憶があります。それらの人々は一体どこに行ってしまいったのか?つくば市に次々にオープンする郊外型のショッピングセンター、それまでは何も無かった街に一大ショッピングタウンが登場。

何もわざわざ不便な思いをして土浦へ行く必要は無くなったのです。この不便とは、クルマで行くと止める場所が近くに無い、と言うことを意味します。

駅前の開発が出来なかった、駐車場を兼ね備えた店舗展開ができない、招致もできない。結果は見えています。

むかし、土浦駅を降りると目の前に現れる2階建の古い建物がありまして、その土地の地権者が中々売却に応じなかった、駅前の道路拡張しようとした場合、老舗の店舗が多く存在して、拡張しようにも買収に及ばない。

まあ、その店舗や古いデパート(つかさデパートだったかな?)の地権者も、早々手放すわけにもいかない、ましてやバブルが始まる頃です。土地の値段はもっと上がるかもしれない、と考えても不思議ではありません。

しかし、それら老舗の店舗やつかさデパートも、気づいた時に既に手遅れ。大型店舗が撤退し、売り上げも落ちる一方で、遅ればせながら土地の売却をするも、イトーヨーカードーのたたずまいは、近いうちに消えてしまうことに。

結局のところ、つくば万博で乗り遅れたまま、20年以上経った今、嘗ての商業都市は終焉を向かえ、東京へ通勤する人々のベットタウン、県内の一部企業がオフィスを構えていますので、オフィス街のまちとなってしまったようです。

故郷を離れて早30年、自分が居た頃とは全く違う土浦。今回のニュースは、一抹の寂しさを感る、それ以上の思いを持たずには居られませんでした。