黄金週間 ― 2006/05/09 14:23:00
終わってしまいました。終わってしまうと、あっという間。いつもそうですけどね。今年も例年と同じで、何処へ行くわけでもなく、ちょこちょこと普段出来ないことを、まとめて処理すると言う、残務処理的な週間でした。
引越し(2年前の)際に、バラバラにしてしまった自作の電子回路基板を、再び動作可能な状態にすべく、基板単位での調整をしました。基板毎、動作プロセスをまとめてありますので、こうした場合に便利です。尤も、一枚の大きな基板にまとめてしまい、テストポイントをしっかり用意すれば、バラバラになることも無かったとも言えます。
さて、いざ作業を開始してみると、結構ずさんな作り方をしたためか、部品のはく離が目立ちまして、それを修復するのに、回路図と睨めっこ。プリントパターンで構成されたきれいな基板ではなくて、ユニバーサル基板にジャンパーで結線してあるため、しばらく見ていないため、何が何処にあって何とつながっているのか?さっぱりわからん状態でした。
部品のはく離修復を終えて、通電してみると・・・おや?それまでトータルでの動作で音を出していたため、ブロック毎のテストが実は初めてだったりするのですが、こりゃ酷い!
因みに音だしとあるのは、この回路がアナログオーディオプロセッサであるためです。
フラットな周波数特性でなくてはいけない場所で、妙な特性を画いたり、その逆に強調されるべき帯域での強調レベルが不足していたり、良くもこんな代物で音を出していたものだ!と我ながら嫌になりました。
この代物は、ORBAN社のOPTIMOD-FMの模造なのですが、100%模造品ではなくて、制御回路などは独自の回路を使っています。これは特許によるブラックボックスであり、回路図が入手不可能であることや、ORBAN社のオリジナルパーツが使われていたりで、やむを得ず回路を自分で構成しているのです。
この小生の独自回路とORBAN社のオリジナル回路では、当然特性が異なります。結果が同じになれば良いのですが、どうも不完全だったようです。
大きな間違い箇所は、HFリミッターと呼ばれる「高域成分のみを制御する」回路で、オリジナル回路ではNチャンネルゲートJ-FETを制御素子として用いています。ドレインとソース間の抵抗値をゲートの電圧で制御します。この可変抵抗値を、OPアンプの利得率を決める抵抗と並列につなぎ、利得を課へすることでVCAを構成しています。
ところが、この回路は非常に低インピーダンスな回路でして、OPアンプの+入力(非反転回路です)につなぐ接地抵抗は215Ω!こんなに低インピーダンスの回路なんぞあるのか?殆どショート状態ですよ、これは。
この215Ωの接地抵抗に並列接続するFETのドレインとソース、ちょっとでも抵抗値が上がれば入力ショートとなり、OPアンプからは信号が出なくなる、と言う回路なのですけどね。
この強力な低インピーダンス回路を、増幅器として動作させるために、利得はなんと30dB。でも実際に出てくるレベルは10dBに満たない、かなり無駄な回路とも言えます。
この回路を何とか効率良くすべく、VCAをFETからコンパンダーICに変えて、OPアンプのゲインを幾つにするか?・・・とここで止まっています。FM放送用の50μsecプリエンファシスなので、MAX値は15KHzで+13.6dBとなりますから、この値になるべく計算のし直しと、VCAは利得無しで減衰のみとする、と言う事にしました。
が、実際にいつ実現できるかは不明です・・・いやー、齢ですかねー、根気が続かないのですよ。
変わるものです ― 2006/05/10 12:51:00
以前勤務していた、世田谷にある会社の元同僚である”M山”さんから、電話がありました。M山さん自身も、その世田谷の会社を既に辞めていまして、「あの会社は人が残らないねー」とお互いに納得したのですが、その続きがありまして、小生の居た部署の先輩に当たる”O原”氏も辞めたとのこと。
おやー、あの男は辞める辞めると言いながら、結局10年以上勤務したので、辞めることは無いだろう・・・とふんでいましたから、意外でした。
その世田谷の会社だけではなく、中小企業と呼ばれる会社であれば、殆ど似たり寄ったりだとは思いますが、残る人は残り(少数ですが)気が付くと他の会社では通用しないようなスタイルになります。良く言えば色に染まるですかね。
不満を感じた人は迷わず辞めて、他の会社なり個人事業主として結果を出しています。
因みに、その先輩に当たるO原氏は小生より年下なのですが、小生が辞めた当時(7年前)には2人の子持ちでした。
小生が辞める時点で、後輩は2人いました。また、小生の後任+追加人員1人の計2名が入ったのですが、4人とも居ません。早い人は1年を過ぎない内に辞めたそうです。
何とも・・・いい会社なんですけどねー。技術屋さんを希望して入ると、失望する結果を招く会社ですなー、あそこは。ある意味、ぬるま湯的な環境と仕事が慢性化していまして、それが嫌な人は長く居ないし、心地よく思う人は長居するのでしょうな。
話の続きがまだありまして、旧BBS(T-CUP)に何度か書き込みをしてくれたことのある”寺ちゃん”こと寺D氏(彼も辞めてます)と、今でも現役の様子の”Aま”女史が結婚する、とのこと。
これは意外、と言うよりもいつの間に?と言うのが正直な感想でした。まあ、あの会社は社内恋愛が多く、珍しいケースではないのですが、小生が居た時点ではどうも2人は付き合っていなかったようですから、その後に色々あった事になりますな。
寺D氏が会社を辞めたのは、小生が辞めたその2年後なので、ふむふむ・・・2年あれば色々あるか。
何はともあれ、”寺ちゃん”おめでとう!って、もうここは見てくれていないかな?
「お宝ぽろりベスト1」?
最近小生のブログで、アダルトサイトのトラックバックが付けられています。こうした”糞馬鹿”のうんこなトラックバックは無視して下さい。
それから”糞馬鹿”共へ、うんこなトラックバックはやめなさい!迷惑なだけでなく、むかっ腹たつので、二度とやるな!と言ったところで、糞馬鹿は理解出来ないほど”低脳な生き物”なので、トラックバックは不可にします。
糞馬鹿の低脳集団による、うんこ行為に屈するのも不本意ですが、こちらの言うこと(正当な発言)に耳を傾けるほど、高等な脳みそを持っていない、家畜以下もしくは虫けら以下な生き物に、何を言っても始まりませんからね。
故郷のこと ― 2006/05/15 12:50:25
小生の出身は茨城県土浦市である事は、何度か書いていますので、ご存知かと思います。土浦市は、県の南西部に位置する人口13万人の中規模都市で、商業を中心とした産業が盛ん・・・と、言いたいところなのですが、実は衰退しているのです。
小生が住んでいた頃は、JR(当時は国鉄でした)土浦駅西口から西に伸びた通りを中心に、丸井・西友・イトーヨーカドー・小網屋・京成デバート、などデパートが多く存在していました。
映画館は10軒あり、東京の有楽町や新宿と同時公開のロードショーも珍しくなく、夏に行われる七夕祭りなどのイベントに繋がる観光でも、それなりに集客力があったと記憶しています。
ところが、今から20年ほど前から、その繁栄に陰りが見え始めたのです。
小生が土浦を出た80年代前半でも、2~3軒に1台の割合で、マイカーが普及していました。80年代後半になり、その勢いは加速して、一家に一台の時代が来ました。これは地方都市では土浦以外の都市でも見られた変化ですね。
週末のレジャーや買い物は、バスではなくて自家用車になり、当然の事ですが、駐車設備が充実した場所へ人は流れます。その駐車スペースが、土浦には絶対数として不足していたのだと思います。まあ、全ての利用者が駐車場に置くという事はなく、中には路上駐車をする輩もいたでしょう。しかし、その路駐でさえままならないほど、逼迫していたのが道路整備です。
人口10万人都市とは思えない駅前の細い道、歩道は屋根で覆われており、幅も広く歩行者には優しい道ではあります。しかし、その歩行者を連れてくる交通手段が、電車やバスと言った公共の交通機関ではなく、自家用車なのですから、結果は目に見えていたはずです。
衰退し始めた頃の行政にもね。
その離れて行ったお客は何処へ?80年代に国の政策でつくられた研究学園都市から、一行政都市のつくば市へ変わり、万博が開催される頃には、鉄道が無いにも拘らず、中心部へ商業施設が招致され、さらに70年代までは、広大な土地に恵まれた田舎であったため、大規模な駐車場も設ける事が可能でした。
周辺の町・村の人たちは、土浦へ行くことをやめて、つくばへ通うようになったのです。やがてその波は、市民にも広がり、年寄りと若年層だけが僅かに残されたのでした。
売り上げが激減した事により、96年に西友は撤退。その後、老舗の小網屋が倒産。03年には市が留まるように要請した丸井も撤退して、残ったのはイトーヨーカドーのみとなり、商業都市というイメージの欠片ものこされていません。(京成はもっと早時期に撤退したそうです)
その衰退する土浦ですが、周辺の町村へ合併の提案をしていたようです。総務省が推し進めた平成の大合併に、土浦も便乗しようとしたらしいのですな。そう、合併して大都市にして、つくばに対抗しようと思ったのですが・・・
見事にふられたようです。隣接する町村は、出島村・新治村・阿見町・千代田村と、後ひとつあったかな?OKが出たのは新治村だけでした。悲しーい(T T)悲しすぎます。
その後、霞ヶ浦村と出島村さらに千代田村とが合併してかすみがうら市へ、阿見町も美浦村と合併して阿見市?になる予定とか。
人口20万人の特例都市への夢は崩れたわけですな。
もともと、土浦は江戸時代まで土浦藩があり、城もあったところで、城下町なのです。(小学校で習いました)第二次世界大戦時には、空襲にも遭ったようですが、古い町並みはそのまま残り、そのまま小規模な道路の拡張は行なったものの、道路整備が済む前に町並みが出来て栄えてしまった。
自動車の時代になり、道路の拡張や駐車場の整備を行なうとしがた、地元の商店主の同意が得られなかったため断念して、無意味な道路をひとつ作っただけで、今に至る・・・
駅前の整備に猛反対したのは、今は無き「つかさデパート」なる昭和20年代後半につくられた、古びた2階建ての商業施設だったとか(母親から訊いたネタなので定かでは無いです)。
今、その場所には高層マンションが建っていますけどね。その下層階にイトーヨーカドーが残っているのですが、それも撤退する話があるそうです。
かつてちょっとしたオシャレな服を買う時や、LPレコードを買う時、更には幼い頃に母親に連れられてバスで行った、西友の屋上にあった観覧車、高くて高校生には買えないから、滅多に入らなかった丸井。これらを失くした張本人は、改善策を実行できなかった行政・行政の案に猛反対した地元商店・車で行くには不便だと敬遠した市内の住人(他の町村の方は含みません)、そして高校を卒業すると東京へ出ていった小生や同じ事をした元市民、全てに責任があるように思えます。
たまには帰りますかね。
エアータッチ ― 2006/05/18 13:11:41
山口もえがバンパーをぶつけて、「ちゃららー」と歌っているCMの製品です。普通の人なら「ちゃららー」などと歌う事は無いと思いますが、あのキャラクターだと、実際にやりそうな感じがしてきますな。いや、本当のところは知りませんよ!おっとりしていそうで、実は車の運転はかなりの上級者かもしれませんしね。
さて、タッチアップペンなる塗装補修ツールは、昔からありましたが、このCMのSoft99にしても、Holtsにしても、お世辞にも使いやすい代物とは言えません。
製品のキャップを外すと、キャップの中心部に筆が付いています。この筆に塗料を付けて、補修箇所に塗るだけなのですが・・・やった事がある方ならば分かっていただけると思いますが、薄く塗れないのです。おまけに、飛び石等で少しだけ剥がれた箇所などは、剥がれていない箇所にまで塗料が乗ってしまいます。
筆が大きすぎる・太すぎる、と言う事ですな。また、塗料は車のメーカー・車種毎に細かな色が用意されていますが、色が若干濃いのです。薄め液+筆と言うツールが売られているので、拘る人はそっちを使え!と言う事ですかね。もしくは、嫌なら修理に出せ!でしょうか。
一方、タッチアップとは別に、スプレータイプの補修塗料もあることはありますが、タッチアップほど色が豊富ではありません。
タッチアップペンは手軽で種類が豊富だけでれども、雑な仕上がりに成りかねない。スプレーは綺麗な仕上がりが期待できるけれども、色が少ない。この両者の良い所を合わせたのが、エアータッチと言う事になります。
このエアータッチは、スプレー缶にタッチアップペンを取り付けて、噴射するだけです。スプレー缶には、噴射ガスだけではなく、薄め液も入っているようで濃すぎるタッチアップペンの欠点を補っています。しかも、スプレーの霧はかなり細かなもので、一般的なスプレー塗料の荒めの霧という事はありません。
1往復スプレーしても、殆ど塗料が付着しません。2往復でようやく色が付き始めて、4往復でほぼ出来上がる感じですかね。
今回の補修箇所は、バンパーです。写真を撮っておけば良かった・・・と思えるほど綺麗な仕上がりです。因みにこのバンパー傷は、小生or奥さんが付けたものではありません。前オーナーさんの物です。
かなりえぐったような深い傷でしたので、溝のエッジのでっぱりをサンドペーパー800番で削り、養生の上タッチアップペンで溝をふさぎ、若干もり上がるくらいにして1週間乾燥。(3度塗りしました)
塗料でもり上がった箇所を1000番耐水サンドペーパーでゴシゴシ・・・平らになる頃には、塗装のはげたところが・・・(T T)
いやいや、良いのです。へこみもでっぱりも無くなったところで、しっかりと洗浄して+脱脂したところで、エアータッチ登場です。傷の溝は埋めてあるいので、薄く薄く付くように少しずつ吹き付けます。
うちの車はメタリックなので、仕上がりは見る角度によって、つやが無いため違和感がありますが、色は見分けが付かないほど綺麗な仕上がりです。ソリッドのカラーであれば、これひとつで終わりですな。
メタリックやマイカの場合には、仕上げ用スプレーがあるとか・・・おいおい、そうなのかよ!とまあ、これは後日何とかします。仕上げスプレーって、早い話クリアー塗料でしょう?それなら持っていますよ!タッチアップペンのやつをね。
エアータッチには、交換用ノズル(タッチアップペンを挿す方)がひとつ付属していますので、こいつでクリアーを吹き付ければいいのでは?
バンパーの軽度な傷補修なら、耐水サンドパーパー1000番とタッチアップペンと、エアータッチ(+仕上げスプレー)で素人作業レベルでは90点の満足度が得られると思います。
溝が深い場合や、溝ではなく変形しているような凹みは、パテを使わないと無理でしょうね。
ボディの傷は・・・ちょっと怖いかな。
使用後のみとなりますが、近々写真を載せます。
続エアータッチ ― 2006/05/22 10:50:33
先日ここで書いたSoft99の「エアータッチ」についての説明に、一部誤った箇所がありましたので、改めさせていただきます。
エアータッチ(スプレー缶)の内容物は、噴射用のガスのみが含まれています。タッチアップペンの塗料を薄めるような溶剤はふくまれていません。
上手くいったと思われていたエアータッチでのバンパー塗装補修ですが、明るい場所で見ると、結構目立ちますなー。目立つ原因としては、1.メタリック塗装の場合の、クリアー層が無いので、メタリック部分が露出しているため。2.若干ではあるが、塗料の色が異なる。
まあ素人がやる補修なので、完璧な物は不可能です。プロの仕事が無くなりますからね。ただ、やるならとことんやるのが小生のモットーでして、ならばクリアー層を作ってあげれば良い、との結論に至りました。
前回の塗装で残っていたエアータッチに、クリアー塗装用のタッチアップペンを装着して、いざ噴射・・・あれ?ガスしか出ないぞ?むむむ、もう一度!あっ、まだらに吹き付けられている?なんで?
原因はクリアの塗装用タッチアップペンが、他の塗装用の物と比較すると、粘性が強いのです。エアータッチの噴射口はかなり細かな霧が出るような設計となっており、程度粘性が少ない事を前提にしているようです。そこへかなりの粘性を持ったクリアを使ったため、目詰まりを起こしたようです。
クリアー塗布で綺麗に仕上げるつもりが、結果は無残な姿に・・・
まだらなクリアでは見っともないので、吹き付けたクリアーを除去しようとしたのですが、取れません。シンナーでも使わないと無理です。シンナーなど持っていませんから、やむを得ずコンパウンドで剥がすことに・・・
ひたすら磨くと、まだらクリアーは綺麗に無くなりましたが、あらら!エアータッチで補修した部分だけ見事に不自然な色・・・余計に目立つようになってしまった(T T)
そうなんです。メタリックは、磨けば磨くほどメタリックな輝きが強調されるのです。そもそも、塗装のメタリック仕上げは、乱反射する光が特徴なのですが、表面をコンパウンドで整えてしまえば、乱反射は減ります。ピカピカにはなりますけどね。目的が違いますからNGです。
次週、再度エアータッチ補修+仕上げ剤でリベンジです。
燃費について。
昨年から、燃費改善策を色々と素人なりにやってみましたが、大きな改善は見られない結果でした。その中で、比較的効果があったのが、最も古典的で基本的な事、急発進・急加速はしない、でした。
やさしい運転が一番なのですね・・・燃費改善策は一段落していたのですが、昨日給油をしたところ、過去最高燃費を記録したのです。往復30km程度の高速道路走行が含まれていますので、普段の市街地走行のみの場合には当てはまりませんどね。
過去最高値は、高速道路走行往復120Kmを含んだケースで8.1Km/ℓでした。昨日の給油で計ったところ、9.2Km/ℓでした。しかも、高速道路走行は前回の場合よりも距離が短く、それ以外の走行は普段と同じ物だったと思いますので、1km改善は結構うれしいです。
因みにワースト記録は、高速道路走行なしで6.8Km/ℓです。7Km下回った時は愕然としましたよ。
さて、変わった事をしていないのに、また走った環境も変わらないのに、燃費が良くなったのはなぜ?
1.一般道の運転で上り坂道が少なかった。
2.渋滞の距離が少なかった。
3.タイヤ交換が効いた。
多分3.が大きいかな。前書いた事がありますが、溝こそ綺麗な未使用タイヤを使っていました。2月のとある日に、クラックを発見したので点検時に新品と交換する事になった。これでしょうね。
未使用タイヤは5年前のタイヤ。今つかっているのは、半年前に製造されたタイヤです。溝だけではなく、弾力性なども影響するのかな?と思っております。
あとは、一般道走行でどこまで改善されているかですね。8Km/ℓ超え・・・は無理かな。平均値は、7Km/ℓですからねー。
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