故郷のこと ― 2006/05/15 12:50:25
小生の出身は茨城県土浦市である事は、何度か書いていますので、ご存知かと思います。土浦市は、県の南西部に位置する人口13万人の中規模都市で、商業を中心とした産業が盛ん・・・と、言いたいところなのですが、実は衰退しているのです。
小生が住んでいた頃は、JR(当時は国鉄でした)土浦駅西口から西に伸びた通りを中心に、丸井・西友・イトーヨーカドー・小網屋・京成デバート、などデパートが多く存在していました。
映画館は10軒あり、東京の有楽町や新宿と同時公開のロードショーも珍しくなく、夏に行われる七夕祭りなどのイベントに繋がる観光でも、それなりに集客力があったと記憶しています。
ところが、今から20年ほど前から、その繁栄に陰りが見え始めたのです。
小生が土浦を出た80年代前半でも、2~3軒に1台の割合で、マイカーが普及していました。80年代後半になり、その勢いは加速して、一家に一台の時代が来ました。これは地方都市では土浦以外の都市でも見られた変化ですね。
週末のレジャーや買い物は、バスではなくて自家用車になり、当然の事ですが、駐車設備が充実した場所へ人は流れます。その駐車スペースが、土浦には絶対数として不足していたのだと思います。まあ、全ての利用者が駐車場に置くという事はなく、中には路上駐車をする輩もいたでしょう。しかし、その路駐でさえままならないほど、逼迫していたのが道路整備です。
人口10万人都市とは思えない駅前の細い道、歩道は屋根で覆われており、幅も広く歩行者には優しい道ではあります。しかし、その歩行者を連れてくる交通手段が、電車やバスと言った公共の交通機関ではなく、自家用車なのですから、結果は目に見えていたはずです。
衰退し始めた頃の行政にもね。
その離れて行ったお客は何処へ?80年代に国の政策でつくられた研究学園都市から、一行政都市のつくば市へ変わり、万博が開催される頃には、鉄道が無いにも拘らず、中心部へ商業施設が招致され、さらに70年代までは、広大な土地に恵まれた田舎であったため、大規模な駐車場も設ける事が可能でした。
周辺の町・村の人たちは、土浦へ行くことをやめて、つくばへ通うようになったのです。やがてその波は、市民にも広がり、年寄りと若年層だけが僅かに残されたのでした。
売り上げが激減した事により、96年に西友は撤退。その後、老舗の小網屋が倒産。03年には市が留まるように要請した丸井も撤退して、残ったのはイトーヨーカドーのみとなり、商業都市というイメージの欠片ものこされていません。(京成はもっと早時期に撤退したそうです)
その衰退する土浦ですが、周辺の町村へ合併の提案をしていたようです。総務省が推し進めた平成の大合併に、土浦も便乗しようとしたらしいのですな。そう、合併して大都市にして、つくばに対抗しようと思ったのですが・・・
見事にふられたようです。隣接する町村は、出島村・新治村・阿見町・千代田村と、後ひとつあったかな?OKが出たのは新治村だけでした。悲しーい(T T)悲しすぎます。
その後、霞ヶ浦村と出島村さらに千代田村とが合併してかすみがうら市へ、阿見町も美浦村と合併して阿見市?になる予定とか。
人口20万人の特例都市への夢は崩れたわけですな。
もともと、土浦は江戸時代まで土浦藩があり、城もあったところで、城下町なのです。(小学校で習いました)第二次世界大戦時には、空襲にも遭ったようですが、古い町並みはそのまま残り、そのまま小規模な道路の拡張は行なったものの、道路整備が済む前に町並みが出来て栄えてしまった。
自動車の時代になり、道路の拡張や駐車場の整備を行なうとしがた、地元の商店主の同意が得られなかったため断念して、無意味な道路をひとつ作っただけで、今に至る・・・
駅前の整備に猛反対したのは、今は無き「つかさデパート」なる昭和20年代後半につくられた、古びた2階建ての商業施設だったとか(母親から訊いたネタなので定かでは無いです)。
今、その場所には高層マンションが建っていますけどね。その下層階にイトーヨーカドーが残っているのですが、それも撤退する話があるそうです。
かつてちょっとしたオシャレな服を買う時や、LPレコードを買う時、更には幼い頃に母親に連れられてバスで行った、西友の屋上にあった観覧車、高くて高校生には買えないから、滅多に入らなかった丸井。これらを失くした張本人は、改善策を実行できなかった行政・行政の案に猛反対した地元商店・車で行くには不便だと敬遠した市内の住人(他の町村の方は含みません)、そして高校を卒業すると東京へ出ていった小生や同じ事をした元市民、全てに責任があるように思えます。
たまには帰りますかね。
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